JA6TAYのプロフィール

1956.2.24生まれ 44歳
身長168p  体重83Kg 

家族
妻1人 子供 男2人 女1人
おばあちゃん 1人
愛人 1.5人いる

免許
原付.自動二輪.普通2種.大型1種
1.2.4級アマチュア無線技士

趣味
アマチュア無線.特に製作研究
車.   愛車 7年式 セルシオC.Fパッケージ (ダークグリーン)
   妻の愛車 4年式 ソアラ 4000GT (レッド)
女性に優しくすること 以前親父狩りにあったことがある

スポーツ
スイミングスクールに12年通っているお陰で月謝が半額になった(月12回で3400円)
健全な体には、健全な精神が宿る(どこかのCMを真似しました)。

職歴
 県立の工業高校電子科卒業後電気関係の仕事に2年間勤め家業の左官屋を2年ほどやり
腰が悪くなりやめて今話題の白蟻駆除会社(給料が高かった)2年ほどやってお金を貯め
て今の店を始めた、もう19年になる。

 話は逸れるが白蟻駆除はとても儲かります、私も白蟻屋をやろうかと思ったときがありました
でも以前この会社に勤めた人所に行くと体に障害がある人が何人もいました。 

 社長は酒の飲み過ぎなどと言っていましたが、私なりに考える所にはヒ素(亜ヒ酸)が悪い
と思っていました、ヒ素は即効性が有りません体にどんどん蓄積するそうですいずれいろ
んな神経障害が出てきます。

 何故白蟻駆除に最適かは、白蟻の種類は大きく分けて家白蟻とヤマト白蟻がいて前
者の家白蟻は質が悪い、白蟻は兵蟻(外敵と戦い口から強力な酸を出す).働き蟻が
いてその蟻が取ってきた餌を巣に毎日運びます、白蟻は巣に女王蟻が1匹いてそいつが
毎日卵を生みます女王を殺さないといくら働き蟻を殺しても切りがありません、もし即効性
のある薬を使用したら巣に行き着く前に死んでしまいます、通常1週間で死ぬように薬を
調合します。

 ここからが大事です混ぜ合わせる薬は、炭化カリシュウムですこれは白蟻が大変好む食
べ物です白くて小麦粉のような物ですこれは無害です、混合比はヒ素1に対して炭カリ10位
の割合ですヒ素は重く(だからおもと呼んだりするのかな)荒いので私たちは、ふるいアミを
使って細かくしていました、その時出る粉吹雪で鼻血を何度出したことがあります。

 白蟻は、何も知らずに美味しい餌あると思いこみ喜び勇んで女王様に差し上げ褒美をも
らったかは知りませんが、通常1週間位で女王もろごと全滅することになります。

 現在の白蟻駆除は、油剤.乳剤を使用してヒ素は殆ど使用してないようです但し必ず巣を
見つけださないと必ず又白蟻の被害が発生します(家白蟻の場合)。
 
 現在の林容疑者はまるで白蟻のように全滅の経過をたどっているようにも思えますまるで
ミイラ取りがミイラになったようですね。

無線歴
 中学2年の時アマチュア無線の免許を取得.既製品のRIGを買うお金が無くボロ屋通い
をして白黒TV買いあさり当時100円だったと思う、特に東芝製が良かったトランス式で
他は殆どトランスレスだった。

 実際無線を始めたのは中1の時でした、その時は免許など有るはず無くアンカバーでした
無線機は勿論自作ファイナルは807など買えるわけなくもっぱらTVの水平出力管でした
変調トランスは高くて、チョークトランスを使いハイシング変調でした、変調管もTVの水平
出力管でMICは電話機のカーボンMICで独特の変調音です。

 発振は水晶など買えるわけなくVFOでした、始めの頃は受信機と同じくハートレー発振回路
などとんでもない送信機でした、それでもANTは学校の校舎の2階に立てたDPでよく飛んだ
物でした、確か部費で3C-2Vとガイシを買ってもらった記憶があります、ANTを立てるとき波
型ガイシを落として割ってベソかいて自転車を借りて往復2時間駈けて買いに行ったことが
ありました。

 運用中は学校放送との戦いでした、つまりAMPIが出るのです学校放送中はSTBYを強制
されました。

 いずれCALLが降りましたJA6TAYです、喜び勇んで7MHzで早速運用しましたすると沢山
の方から呼ばれ キミー確かアンカバの...君でしょうと何人もの局から言われました、今時
カーボンMICなど使っているのは君しか居ないんだよだって。
 殆どの局からは、歓迎はされましたが、アンカバの時は大人相手に偉そうな事を言ってい
ましたが私が中学生と分かると、なめたような人も居ました、自分も免許を持ってるくせにアン
カバやって僕に偉そうに言われたのが相当悔しかったんだなと思いました。

 高校になって50MHzに取り付かれました、Eスポの面白さとAMで結構楽しめるし、但し自宅
での運用だったのでTVIとの戦いでした、家族がTVの2CH見てないのを確認して出ていまし
たが近所にはかなり迷惑を掛けていたのを覚えています、組内の出方に行ったときよく冷やか
されましたがみんな諦めていました。

 そのころCQ誌でミニトランシーバー製作コンテストが企画され、確か容量がタバコ4個分の
大きさ以下と記憶しています、そこで私は、チャレンジしました(上手く行けばお金ももらえるし)
作品は50MHzFM.AMトランシーバーです、仕様はIC+FET最新の技術投入ですそのころ
東京修学旅行があり私の目的地はもちろん秋葉原です、小遣いはすべて部品購入です修学
旅行中は、製作で頭がいっぱいでどこに行ったのか殆ど覚えていませんでした。

 ついに発表です、なんとCQ誌の表紙に入選作品がに乗っているではありませんか5.6台だった
と思いますが私のが1番見た目が悪いのを覚えています、他の作品はケースから特注で作った
物と想像出来ました、私のケースは市販品の安物です、しかし努力賞で1万円もらって大変感激
したのを覚えています、今でもその時のCQ誌からもらったネガを大事に持っています。

 卒業後就職結婚などで無線など全く忘れていました、確か結婚すぐの正月だったと思います
が本屋さんに行ったときCQ誌が目に止まり眺めている内に又無線を始めたくなり家内に相談
して中古のHF機(FT-101B)買いました、すると完全に無線の虫が爆発してこれで生活すること
考えました。

 私の主な無線の勲章は、コンテストです 
          ALL JA   TEST マルチMIX部門 全国優勝3回
       フィールドデー  TEST マルチMIX部門 全国優勝1回
          JCC JCG  TEST マルチCW部門  全国 2位

 以上が主な戦歴ですが、レコードは ALL JA 7MHzMIX部門(1200局以上)で他は全て
破られてしまったようです現在は、コンテストは、やっていません(体力がない)

生活
 アマチュア.パーソナル無線販売.修理 最近は全く売れません業界的には全体で平成2年
がピークで400億 昨年は80億これでは売れる訳がありません現在家賃が出る程度ですが
数年前、しこたま儲かった時(税務署も黙ってはいなかった)があり無駄使いをせず貯めてい
たのがよかったのだ。

 貯めたお金はあまり使わず4年ほど前から、ある会社の役員報酬と家内の稼ぎ(看護婦長)
で細々と生活しているのでみなさんAMP買ってちょうだい。